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社長あいさつ

創業115年の材木店 四代目に生まれて

創業当時

弊社の正式名称は「㈱後藤勘四郎商店」と申します。
勘四郎は私の曾祖父の名前で、私で4代目となります。
初代勘四郎は明治38年「材木商」として起業しました。
今年で創業115年となります。
創業当時、トラックなどは無く
材木の仕入れには、大八車で、勝山木材市場(真庭市)から
津山まで人力で運んでいました。
因みに往復距離は、45㎞になります。

工務店への転身

それからしばらく材木業を続けていましたが
3代目を継いだ私の父が
「良い材木を提供するだけではなく、

自身の手で良い家をつくって行きたい
という想いの元 工務店を始めました。

しばらくして、腕の良い宮大工の棟梁と意気投合して
「良い材木」と「良い腕の大工」がつくる家

少しづつ口コミで広まり、
やがて安定した受注につながっていった様です。

美大への夢

創業115年の会社で、

私が継げば4代目となります。
その頃は継いで当然の様な、空気でした。
進学する大学は勿論「建築学科」となります。
しかし私は・・・・・
絵を描くことがとにかく好きでした。
小学校の6年間
中学の3年間の計9年間では
春と秋に「校内の写生大会」がありました。
それでは、全て「特選」を頂きました。

絵が上手と言うよりは
とにかく絵を描くことが大好きでした。
「美大に行きたい」
そんな漠然とした夢を持つようになりました。
美大を卒業して画家になる・・・・?
美術の先生・・・・?
いずれにせよ「絵が描けれるなら何でも良いかぁ・・・」
勿論絵の上手い奴なんか五万といるとも
思ってもいました。
でも仕事で好きな事が出来れば、それ以上は多く望みませんでした。


建築学科への進学

建築の設計……
特に美大を無理に諦めた訳ではありません。
ある日TVで確か「安藤忠雄」の
特番をたまたま何となく見ていました。
安藤氏の独特の設計に触れ
絵を描くことも好きでしたが
工作やプラモデルなど
モノを作る事も大好きだった私は
「設計」という仕事に
ものすごく惹かれるモノがありました。

また、決まった形のプラモデルを作る事より
何もないところから新たに自由に作ることの方が好きで
「設計」は、まさに理想の仕事ではないのかと思うようになりました。
大学は自然と「建築学科」へ進学しました。

大学時代  空手部主将……

絵も好きでしたが、
当時、中学2年で見た「燃えよドラゴン」で
すっかり格闘技にハマってしまいました。
その頃は市内の空手道場に通っていました。
高校は空手部は無くお休みしていましたが
大学では迷わず空手部に入部しました。
何でも凝り性の私は空手の練習に没頭して
後に空手部主将を努めました。

就職は、空手部の先輩が勤める
「設計コンサルタント」に就職しました。
また、その先輩の勧め(強制的に)でサラリーマンをしながら
大学の空手部コーチを数年務めていました。

築115年の実家……

当時は色々な設計に携わっていました。
大きな建物から住宅まで
現場管理では
クリーンセンターの大きな現場に3年赴任していました。
その頃は非情に忙しく、週に3~4日会社に泊まっていました。
月の残業は多い時で、250時間を超えていました。
50時間を超えると後は、サービス残業ではありました。
ところで私の実家ですが
115年前、会社&自宅として建てられたので
実家も築115年となります。
私が生まれた時からずーと
夏は暑く、冬ものすごく寒かったです。
それが普通で、特に不満も疑問もありませんでした。

私の自宅の設計……

今から20数年前
当時勤めていた会社を退職し
実家の㈱後藤勘四郎商店で働く事になりました。
数年後、私は自分の家を建てる事になりました。
勿論、設計は私自身で行いました。


その時は、確か1級建築士に受かった頃だったと思います。
それまで家って夏は暑く、冬は寒いのが当たり前、と思っていましたが
いざ自分の家となると「それでも何とかしたい」と思うものです。


私の家は、土地が狭かったので、木造3階建てにして、
収納を増やす為、3階には小屋裏収納を設けました。
夏の暑さ対策として、熱い空気は上へ上へと上昇します。
それで上昇しやすい様に、階段ホールの3階と2階の床に
FRPのグレーチング(900角の溝蓋)を設けました。

3階のグレーチングの上の天井には、開閉式のトップライトを設けました。
これで暑い日には、自然廃熱を行います。
また3階の天窓からの光が、1階まで届き、照明の省エネになります。
更には、3階の天井に、鎌倉ファンという大きな換気扇を設けて
家の中の熱くなった空気を強制的に、3階の天井裏に集めます。


天井裏に集まった熱い空気は、3台のパイプファンで外部に廃熱する様にしました。
でも湿度は逃げないので、1階に2台、除湿器を置いて対応しました。
冬は、少しでも暖かくなればと、サッシは当時まだ珍しかったペアガラスを
設置しました。

今思えば、これって結構「パッシブデザイン住宅」の
理論に当てはまる
ところでもあります。

パッシブデザインとの出会い……

パッシブデザインは、たまたま知ることとなったのですが、

まさに衝撃でした。

今までの住宅の設計はどちらかと言えば、

デザイン的な要素が多く含まれていると思います。

でもパッシブデザインは、まさに「住宅の性能」そのものを設計することです。

まさに「良い家」を設計することになると思います。


また私が勉強させて頂いている「パッシブデザイン勉強会」では、

構造の勉強会も頻繁に開催されています

耐震等級3を各社で標準仕様にするよう指導を受けます。

耐震等級3とは、阪神淡路大震災で倒れない家の

1.5倍の耐震性を持つ家のことです。

熊本地震では、震度7に2回見舞われました。

それにより甚大な被害を受けました。


しかしその際に、耐震等級3の家は、1件も壊れていません

そして震災後も住宅として普通に住まわれています。
もし耐震等級3の家がパッシブデザイン住宅でもあれば、大きな地震が来ても、

壊れる事も無く、その後もし電気が止まっても暑さ寒さに対応出来るので、

震災後も住み続ける事が出来ます。

追伸

良い家ってどんな家だと思われますか?

それは人それぞれなのかもしれませんが・・・・
 住宅建築に携わる我々が、正直に一生懸命つくる家は、

おそらく「良い家」だと思います。


では具体的にはどんな家でしょう?
私が、長年住宅建築に携わってきて思う事ですが、

少しお話させて頂きます。
まず1番に大切にしたい事は耐震性です。

それも「耐震等級3」ですね。

いくらここ津山市は、地震のこない地域と言われていますが、

もしその対策を怠っていたら、

もう家が使えなくなってしまう可能性だってあります。

それだけは絶対避けなければならないと思います。


2番目に大切にしたい事は劣化対策です。

あなたは、高額な商品を長い年月ローンを組まれます。

家自体の耐久性には十分対応するべきと思います。

3番目には、住宅の性能です。

パッシブデザインなど、高性能エアコンや太陽光を
 を使わない「スッピンの状態」の家そのものの性能が良いと、

単に快適性のみならず

ご家族の健康にも大きく関わってきます。
 この3つがクリアーされてその次に、予算を検討して、

好みや趣味、例えば古民家風とかプロバンス風など

検討されると良いのではと思います。


① ~③は、あくまでも私の考えです。

つまりもし私がもう一度、自分の家を建てる としたら

多分こんな事を思いながら建てることと思います。


そして最後に、コストダウンです。

いくら良い家でも、お値段が高くなってはいけません。

良いモノが、少しでもお求めやすい価格でご提供出来る様に、

コストダウンは、常に企業努力してゆきたいと思います。

もっと詳しく知りたい方は